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雨粒が窓を叩いている。

朝から曇っていたと思っていたが、とうとう雨が降り出したらしい。



 

とろとろとした眠りに頭を浸していたエドワードは、細かな粒があらゆるものに降り落つ音に、ゆっくりと意識を浮上させた。

薄く瞼が開かれ、金色の眼が水滴の張り付いた窓に向けられる。

 

(―――んー…?あめ 降ってんのか…?)

 

「…せんたく…干してたっけ…?」

 

頭の中にはまだとろみのかかった眠気が詰まっていて、頭を振るとたぷんたぷん、とそれが揺れる音がしそうだった。

なかなかハッキリしない意識に、枕代わりに使っていた毛布の端に頭を押し付けて低く唸る。

 

「うーん…アルー…」

 

そうだ、きっとアルが気づいて洗濯を取り込んでくれているはずだ。

なんとなく弟の名を呼んだ後に沸いてきた思い付きに、エドワードは心の中で頷いた。

もそもそと身体を反転させると、毛布越しに固い床の感触を感じて、エドワードは、はたと眼を開いた。

 

まっさきに眼に入ってきたのは山積みの本と資料の束。

 

「…おぉ…」

 

寝そべったまま首を巡らせると、床に三つほど似たような山が出来ている。

そしてその合間をぬうように点々と、丸められた紙や、鉛筆がいくつも転がっていた。

 

どうやら調べ物の途中で眠ってしまったらしい。

 

両腕を使って身体を起こすと、床で寝たせいでぎしぎしと背骨や首が痛んだ。

機械鎧の接合部分にもお馴染みの疼痛。

 

「あででで…ん?」

 

起き上がった拍子に、かかっていた毛布が引き上げられると、わき腹の傍にちらりと黒い物が見えた。

クリーム色の毛布を持ち上げると、ぴょこん、と三角の耳が現れる。

 

「いつの間に…」

 

エドワードの呟きに、ひくりと長い髭が揺れて、ふかふかの黒からグリーンの眼が現れる。

アルフォンスは相変わらずの猫好きで、捨てられた猫をみつけては拾ってくるのを特技としているが、この猫は買い物の帰りに二人で見つけた。

 

ちょうど雨が降り始めたところで、猫が入っていた箱はそんなに濡れていはいなかったが、片側がぐしゃりとへしゃげていた。

エドワードは弟が猫を腕の中に抱えながら、ダンボールにくっきりとついた足跡を見つめて哀しそうな顔をしていたのを思い出す。

 

幸い、黒い毛皮に緑の眼の猫に怪我はなく、人に怯えた様子も見せずに自由に家の中を歩き回っていた。

しかし、何かを思い出すのか、雨の日にはぴったりと兄弟のどちらかにくっついている。

 

雨音を聞きながら、エドワードは今だ覚めない頭でゆっくりとその事を考えていた。

猫は、エドワードのわき腹にぴったりと身体をくっつけたまま彼を見つめている。

小さな頭を撫でると、緑の眼が黒い瞼の裏に隠れた。

 

「…お前…なかなか出て行かないな?」

 

アルフォンスが拾ってくる猫というのは、大体が弱っているものか、怪我をしているものかで、回復するとふらりと何処かへいってしまう。

アルフォンスも元々そのつもりなのか大して悲しんでいる様子は見せなかった。

そうして、大人猫は猫自身の判断にまかせるが、子猫には里親を探してやっているようだった。

しかし、この黒い猫は拾ってから2ヶ月ほど経つが、何処へもいく様子はない。

 

子猫というには大きく、大人の猫というには微妙なサイズのこの猫の扱いに、アルフォンスも考えあぐねているようで、

エドワードがどうするつもりなのかを聞いてみた時も、曖昧な返事しか返してこなかった。

無類の猫好きの癖に、飼いたいと云い出さないのは、恐らく自分のせいだろうなと、エドワードは考える。

不思議なことに、アルフォンスは大事なことはエドワードの了承を得れないことは実行しない。

一回一回、律儀に確認をしてくるのだ。

だからエドワードが飼っていいぞと云わない限り、この家に猫が住み着くことはない。

鎧の頃から変わらない弟の行動に、エドワードはほんの僅かに口の端を持ち上げる。

 

(―――全くうちの弟は変わってるというかなんというか…。)

 

聞けばいいのに、断られるのが哀しいのか、旅続きの生活を終えて以来猫を飼っていいか聞かれたことがない。

 

猫の柔らかな喉を撫でながら思考を続ける。

指先にごろごろとした感触を感じる。

 

聞こえる音と云えば、猫が喉を鳴らす音と、外の雨音くらい。

どちらもくぐもっていて、くっきりとした輪郭を持たない。

相変わらず眠気は払いきれていなくて、

なんとなく、夢の続きを見ている気分になる。

そんな中、エドワードはぽつりと猫に話しかけた。

 

「お前、もうウチにいるか?」

 

わかっているのかわかっていないのか、猫は眼を閉じたまま喉を鳴らしている。

 

「ふむ…もしお前がここに住むとなれば…まず名前、考えないとな。」

 

今までの猫には名前がつけられることはなかった。

当然この猫にも、まだ名前はない。

 

「食事用の皿もいるし、寝床も…お前何処に寝たい?」

 

言葉にしているうちに現実味が増してきて、もしもの話のはずがエドワードは段々本当にその気になってきていた。

すっかり眼を覚ました彼は猫を拾い上げると顔の前まで持ち上げる。

 

「その代わり、ココに住むんだったら、ずーっと居ろよ?いいな?」

 

そう猫に云い聞かせるエドワードの表情は柔らかい。

彼は身内に対して非常に甘い。

また、手放しで甘えられる相手にはとことん甘え倒すという習性も持っている。

この猫はその数少ないうちの一員になるようだ。

抱き上げられた猫はみゃー、と小さく鳴いてから、突っ張った前足でエドワードの鼻を押した。

 

「こら、くすぐってぇ。よし!そうと決まったら、アルに云わないとな!」

 

猫を降ろすと、エドワードは大きく伸びて背中の関節を鳴らした。

右肩と左脚はまだ疼いてはいたが、降り始めだからか、まだ小降りだからか、あまり気にならない。

ますます良い気分になりながら、立ち上がって部屋の外へ向かうと、小さな黒い生き物は脚に纏わりつくようにしてついてきた。

 

「もしかしたらあいつ洗濯物がだめになってヘコんでるかもな?」

 

みゃーと黒い猫が返事をする。

もしそうだったらお前後ろから飛びついて驚かしてやれよ、

などとたくらみ話をしながら、エドワードは弾みをつけて猫と一緒に階段を降りて行った。

 

​黒猫の約束

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