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「あー…?」

真っ白な紙に黒いインクで自分の名前を綴っていた黒眼黒髪の男は、前方から聞こえてきた声に顔を上げた。

部屋の入り口傍の壁際に置かれたガラス戸の棚の前で、小柄な少年が手に持ったファイルを睨んでいる。

「えぇっと…」

「どうした、鋼の。」

「あのさぁ、この書類はどうする?」

「それは右端、下の段。」

「手前?奥?」

「あー…わからん。」

「だぁーもう!めんどくせぇなァ!」

ガタンッ、と乱暴に棚を開けながら、金髪の少年は奥に手を突っ込んで収まっている書類を引っ張りだした。

お気に入りの赤コートは現在革張りのソファーに掛けられている。

後ろからそれを見ていた男は、乱暴な彼の動作に嵌めガラスが割れないか少し心配になったが、残念ながら現在それを口にできる立場ではない。加えて、気力もない。

男、焔の錬金術師ロイ・マスタングは非常に追い込まれていた。

 

溜まりに溜まっていた仕事から逃亡し続けたのをとうとう優秀な部下に捕まり、

真っ直ぐ眉間を狙って撃たれた弾丸を避けながらペンを手にとったものの、

あまりにも放置していた書類たちは無造作に避けられたり崩れたりしたために順番がごちゃごちゃになっていた。

挙句、机の上から書類が消えるまでは退室を許可しかねます、と冷たく云い放たれ今に至る。

 

「あぁ?ここもごっちゃになってんじゃねぇかッ。」

「ん?あぁ、この間会議の時にそこから資料を出したような…」

 

飛んできた本立を避けながらロイはペンのキャップを閉じた。

 

「出したらちゃんとしまっとけ!この無能!」

「無能とはなんだ!」

「うるせぇ!俺の査定の書類もどっかにやっちまいやがって!おまえなんかホークアイ中尉に見捨てられちまえ!!」

「ふふふ…残念ながらこうして追いかけられているということはまだ見限られてはいないということ…」

 

ぱし、とやはり眉間を目掛けて飛んできたインク瓶を受け止めながらロイは疲れた笑いを漏らした。

 

「仕事をしろっ。」

「してるよ…。」

「俺の書類は!!」

「あった。」

「ホントだろうなぁ。」

 

本やファイルの配置を並び替えながら、エドワードは顔だけをロイのほうへ向けた。

 

「嘘だったら承知しねぇからな。」

「嘘じゃない。なんなら目の前で燃やしてみせ、」

 

ダンッ、と茶色い机にダーツのように投げられたペンが斜めに突き刺さった。

 

「いい度胸だな、えぇコラ。」

 

力いっぱい投げられた反動で震え続けるペンを引き抜きながら、ロイは肩を竦める。

 

「鋼の錬金術師殿は冗談が通じないらしい。」

「焔の錬金術師殿はお遊びが過ぎるようですねぇ。」

 

軽口の応酬に被さるようにばたん、と戸棚が閉じられた。

 

「うん?終わったのか。」

「おーよ。むかついたから奥に入ってたやつぜーんぶひっくり返してやった。」

 

ニヤリと口角をあげて、エドワードは満足げに手を叩く。

 

「酷いやつだな。」

 

云いながら、ロイは先ほどまで無造作に書類が積まれていたローテーブルへ目をやる。

 

ズーン、とか、ずしーんとかの効果音が聞こえてきそうな程積まれていた書類は、片手にあまるほどの冊数に減っている。

タイミング悪く訪れ、さらに巻き添えを食って文句たらたらだった割にエドワードはきっちりと片付けの手伝いをしてくれている。

意外な几帳面さと手際の良さに軽口を叩きながらも、ロイは感心していた。

 

今も口では奥の棚を引っ掻き回したと云っていたが、ファイルのナンバーを確認しながら作業していたあたり、そこも整頓されているのだろう。

 

「んで?あとは?」

「…付き合いがいいな、君は。」

 

思っていたことをそのままいうと、エドワードは居心地が悪そうに肩を竦めた。

 

「一度始めたら最後までやんねーと気持ち悪いんだよ。」

「なるほど。」

「…それにちょっと面白かったしな。」

 

にやりと意地の悪い笑みを浮かべながらエドワードは口許に手を当てた。

 

「今年度の予算の一部、あんなことに使ってたんだぁー。」

 

いつの間にそんなものを見たのか、極秘情報の漏洩にロイはぴくりと眉を動かした。

一方エドワードは鬼の首を取ったように嬉しそうに笑った。

 

「流石鋼の。手癖が悪い。」

「中尉知ってんの?」

「そんなことよりお茶はどうかね。」

「お茶ぐらいじゃごまかされないなぁー。」

「わかったわかった。」

猫のように眼を細めてにまにま笑うエドワードを見てロイは溜息をついた。

「仕方ないな。夕食を奢るからそれで勘弁してくれ。」

「ってアンタ今日中にココから出れんの?」

「問題ない。おかげさまで大体終わった。」

「あそ。」

夕食をご馳走されることに文句はないのか、エドワードは短く返事をすると赤いコートに袖を通した。

 

「んじゃあ一応アルに電話しとこっかな。」

「あぁ、エド、行く前にそこの書類を取ってくれ。」

 

コートを着込んでいたエドはその体勢のままきょとん、と眼を見開いた。

そしてその顔のまま、指されたテーブルの上の書類を手にとってロイに渡す。

 

「どうかしたか?」

「や…大佐いま名前呼んだ、から。珍しいな。って…」

「あぁ…」

 

そういえばそうだったなと書類を受け取りながらロイは考える。

ほとんど無意識だったのでロイ自身云われるまで気がついていなかった。

ところが、エドワードは考え事をするように目線を落とすと、ぽつりとこぼした。

 

「なんか…ヘンな感じ。」

 

ぱさり、

 

たった今手渡された書類が茶色のテーブルに置かれる。

立ち上がったロイの脚に押されて、椅子が後ろに下がる。

 

「ほう?」

「…んだよ。っ、おい、仕事…!」

 

するりと頬に伸ばされた手に、エドワードは慌てたような声を出す。

 

「何が、どんな風に“ヘンな感じ”なのか、是非知りたいね。」


 

―――詳しく聞かせてくれるかな?


 

問いかけに対し、目元を赤くした少年のいつにない大人しさに、

 

男は、もう少しこの部屋にいてもいいかと思い始めていた。

​お片付けと気まぐれな幸運

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