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ぎしり、と背後のベッドが鳴った。

それは思考を中断する程の音では無かったが、後に続いた深い溜息にアルフォンスは振り向いた。

「疲れちゃった?」

「へっ?」

「大きな溜め息。」

「あぁ…」

唐突な問い掛けにくるくると眼を丸くしていたエドワードは原因を指摘されて納得したような声をだした。

「いや、なんっつーか、こう…読むのに夢中で今あんま息して無かったからからさ。空気の入れ替えっつーかなんっつーか。」

説明しながらゆっくりと上半身のストレッチをする。

ずっと同じ体勢をとっていた関節や筋が軋むのがアルフォンスの耳にまで届いてきた。

「後ちょってで考えがまとまるーって時はむしろ息したくねーんだけどなー。」

「あぁ、わかるわかる。動きたくないっていうか、」

「そうそう。ちょっとでも動いたら崩れそうなんだよな。」

「今は違ったんだね。」

「うん。ちょっと頭ん中詰まってきたから隙間あけてみた。」

兄の関節の音に、なんだか自分の首も痛いような気がしてきたアルフォンスは、ごろりと横になって身体を伸ばすエドワードに一息いれようかと聞いてみる。

エドワードは伸びの体勢のままちょっと考えてから頷いた。

 

「ん。…紅茶飲みたい。」

「わかった、お茶にしよう。」

「この間買った林檎のやつ。」

「あぁ…気に入った?」

「甘くしてー」

「はいはい。」

「下までおんぶしてくれー」

「はいは…は!?」

 

椅子の足が床を擦り、アルフォンスが立ち上がると、エドワードは手を伸ばした。

 

「はやくー」

「なんでだよ。嫌だよ。」

「寝転んだら身体動かなくなった。」

「じゃあここにいなさい。」

「アルと下に行きたいんだよ。」

 

子供のような口調でまさに抱き上げてくれといわんばかりのポーズをとる。

あるぅーと語尾を引きずり気味に甘えた声で呼ばれて、半眼だったアルフォンスもじわりと顔を赤くした。

 

「なぁ…はやくー」

「う…」

 

どうして云うことを聞かねばならないのか、大体何故当たり前の様に腕を差し出すのだこの人はまったく、

 

ぐるぐると頭の中で早口に考えながらも、アルフォンスは黙ったままベッドまで歩くと、横たわった兄の背中と脚の下に腕を差し入れた。

二人分の体重を支えながらアルフォンスが部屋を出たところで、エドワードが自分の状態をみて呟いた。

「……あれ。俺おんぶで良かったんだけど。」

 

おんぶを要求したはずが何故か背中と脚を支えられて横抱きにされている。

そのことに気がついたアルフォンスも立ち止まる。

「ハッ!つい…」

「どんな迂闊だよ。はははっ、ヘンなやつ。」

「兄さんが変な要求するからだよ…」

兄に笑われてアルフォンスは渋い顔をしながら階段をおりる。

抱き上げている身体を降ろしても良かったのだが、首にしっかりと腕を回されてしまい、結局そのままキッチンまでいってしまう。

「はぁ…まったく…」

アルフォンスが林檎のシールが貼ってあるブリキの缶を手にとりながら息を吐くと、ティーポットを手にしたエドワードが後ろから覗きこんできた。

「疲れた?」

まだ赤い顔をしかめて、アルフォンスはエドワードのニヤニヤ笑いを睨み付けた。

「わかってていってるでしょ。」

兄の分だけ渋ーい紅茶にしてやろうかとアルフォンスが考えていると、隣りに移動したエドワードが、カチャリとポットの蓋を開けながら呟いた。

「前はさぁ…」

「ん?」

「前はお前、ため息なんてつけなかったろ。」

ざらざらと茶葉が乾いた音を立てるのを聞きながら、アルフォンスは感覚のない、息を吐かない、衰えない、しかし安定もしないという身体だった時のことを思い返す。

「そうですね。」

「一回さ?さっきみたいに俺が息吐いたら、お前がやっぱりさっきと同じように、不思議そうに、どうしたのって聞いたんだよ。」

「それは……兄さんとても気にしたでしょ。」

アルフォンスの詰まったような声に沸かしたてのお湯が注がれる音が重なる。

「ん?いや、まぁそういうハナシじゃなくてよ。」

その様子ではしばらくの間溜め息を飲み込んでいたようだ。

密かに兄を横睨みにしながらアルフォンスはポットに蓋を被せる。

「あの頃はさぁ、そういうコトばっか考えてたなーって。その度に、もっともっと、早く早く…って思ってた。」

「…ありがとう。」

その兄のおかげで、今のアルフォンスは息もするし、紅茶の香りもわかるし、引き寄せた兄の温もりも感じることができる。

「今は深呼吸も溜め息もし放題だよ。」

「おう。」

 

兄を椅子に導いてからアルフォンスは紅茶を二つのカップに分けて淹れる。

「あ、でもさ?溜め息つくと幸せが逃げるっていうよね。」

「あぁ?」

蜂蜜の瓶を蓋をあけていたエドワードはその質問を笑い飛ばした。

「はっ。ため息ぐらいで飛んで行く幸せなんて、こっちから願い下げだね。」

ぺろり、指についた蜜を一舐め。

強欲な王者の笑み。

己が正しいのだと全身で主張するその姿に、アルフォンスは行儀の悪さを注意するのを忘れてしまった。

椅子の背もたれに片腕をひっかけて宣う兄に苦笑して、従者の如く紅茶を献上する。

「おみそれ致しました。」

少ししてから堪え切れず転がりでた二人分の笑い声を、紅茶の湯気が温かく包みこんだ。

誰が為に息をする

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