top of page

春にはまだ早いが、少し暖かさを感じる三月。

黒髪の男はやる気のない表情で一人書類を読んでいた。

 

かさり、かさりと乾いた紙の擦れる音を聴いていると少し眠くなる。

眼を休めるつもりで書類をもったまま眼を閉じた時だった

 

ふわり、鼻を掠める香り。

 

そして、

 

「大佐さぁ、いつもこんなに着て暑くない?」

 

ばちっ!

 

まどろみくっつきかけていた瞼が大きく開いた。

視界に入るのはぎっちりと字の詰まった書類ではなく、陽射しを吸い込んだ様な柔らかな金色。

 

一体いつの間に!?

 

言葉にならない思いを口の中に溜めている間にエドワードの指先が襟に入り込み、喉元でぷつりとボタンが弾かれる音がした。

 

「うっわ、何枚着てんだアンタ。」

「っ、ほっと、け!」

「何どもってんだよ。うわー暑っ。見てるだけで暑苦しい。」

「…演習はどうした。」

 

エドワードがこの部屋を出ていってから30分程しか経っていない。

右肩の上の重みはゆらゆらと揺らぐと喉で笑った。

 

「全部のしてきた。」

「お前な…」

「俺にすらに勝てないんじゃあ使い物にならねぇなぁ?」

「馬鹿者。どうせ錬金術も合わせて使ったんだろう。」

「鍛えてやれつったからそうしてやったまでだ。」

 

軍の人間兵器が何をいうのか。

 

手加減をしてやらんか。

 

と、口を開きかけた時、ふわりと胸をくすぐる匂いがして男は慌てて右肩の重みの下から逃れた。

 

「な、んだお前」

「は?」

「…何かつけているのか?」

 

振り向いた先にきょとんと立っていた青年に「いい匂いがする」なんて口が裂けてもいえなくてロイはこほんと口許を隠し咳ばらいすると言葉を選んだ。

 

「いーや?つか俺らそういうのつけちゃだめだろーが。」

「いや…なんか、匂いが」

「?あーシャワー浴びたからじゃね?演習で汗かいたし。」

「そうか。」

「…何?」

 

にまーっと目の前の金色が猫のように口の端をあけるのでロイはぎくりと強張った。

がさがさと乱れてしまった書類を整える。

 

「上着をきたまえ。」

「エーあっついからヤダ。」

「その髪も!だらしないだろう切るか纏めるかしなさい。」

「アンタがコッチの方が好きかと思って。それにぃー」


 

さらり、

金糸が揺らいで両肩に重み。

 

ぐらり、

柔らかい匂いが脳をくすぐって、

 


 

イイ匂いがするんだろ?



 

とどめの言葉が、ぐさり。

「っ、君は、本当に!質が悪いな!」

 

囁きを吹き込まれた耳を庇いながらロイは再びエドワードを引きはがす。

 

「えー?」

 

カラカラと笑う青年はデスクの前に回るとロイに背中を向けるように腰かけ、足を組んだ。

 

恋人らしい甘いムードをだされるのが苦手でいつも逃げ回っているくせに、

最近は気まぐれにロイをからかいにくるのは“成長”というカテゴリーに入るのだろうか。

 

逃げられるにしろ迫られるにしろ、エドワードが相手ならいつも悩むことになるのだと実感しながらロイは春の空気にそぐわない重たい溜息をつく。

面白そうにエドワードが頭を傾けてロイを一瞥する。

 

「シケてんなぁー。がっつかないの?」

「……。」

 

わかってて尋ねる"可愛い恋人"に今更矯正をほどこそうとは思わない。

駄目でも大人としてせめてもの意趣返しにロイは音も立てずに立ち上がるとさらりと前を向いているエドワードの顎を一撫でした。

 

「この日差しの中で君の嬌声を聴くのはさぞかし気分がいいだろうね?」

​三月の誘惑

bottom of page