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むーすーんでー開ーいーて、手を打ってむーすんでー。

 

エドワードは歌いたくもないのに頭の中に子供の手遊び唄が流れて眉間に不機嫌な皺を寄せた。

さっきから自分は読書にいそしんでいて童謡を歌っている暇はない。

それどころか歌う趣味すらない。

加えてこの本の返却期限は明日なのだ。


自分は今とても忙しい。


それをわかっているアルフォンスは兄に声をかけまいと頑張っている。

頑張っているのはとても良くわかる。

が、しかし。


もう15分も背後で手を伸ばしては触れずにひっこめ、また伸ばしてはひっこめて結んで開いてされてはもうむしろさっさと声をかけろと云いたくなる。

またもや結んで開いてしているのか後ろでかしゃん、と音が聞こえてエドワードは二本目の皺を眉間に刻んだ。


「アールー…」「兄さん、」

「……。」「あ、」


こんな時エドワードは必ず弟に譲る。

呆れていても怒っていても忙しくても実は譲りたくなくても、どうしたって譲ってしまう。

頭をガシガシと書きながらも彼は弟を促した。


「なんだよ。」

「あ…えっと…」


いらついているのを声色で読み取っていたアルフォンスは、それでもいつも通り譲られて嬉しさと困ったなぁという"顔"をした。


「だからなんだよっ。」

「あ!えっと、あの、右手、出して。」

「はぁ?」

理解に苦しむといった声と同時に弟の求めた右手は差し出された。

アルフォンスはくすんだシルバーの手のひらに自分の手を押し当てた。

なめし皮の指が動いて機械鎧のシルバーを覆い隠す。重なった鉄板がきしりと音を立てる。


「えへへ…」

「なんだよ。気味悪ぃなぁ!」

「ごめん、変だよね。っていうか、えっと、わけを話すともっとヘンなんだけど笑わないで聞いてくれる?」


少し弱気な声で弟が頼むので、エドワードは思わず不安になった。

自分の知らない間に何かあったのだろうか?

 

「何。云え。聞いてやる。」

「ホントに笑っちゃダメだよ?」

「笑わねぇよ。何だ、アル。」

「えっと…なんて云うか…ちょっと兄さんに飛びつきたくなったっていうか…」

「…は」

「わ、笑わないでよ!?笑わないでよ!?
 変だって自分でもわかってるんだから…けどなんか無性に触りたくなったっていうか!ホント良く分からないんだけど!」

「はー…」


ベッドの上で手を繋いだまま一人はわたわた。一人は茫然。

そのうち弟が落ちついた。


「うぅ…やっぱり云わなきゃよかったね…。」

「なんで?つか、何が問題なんだ。」

「えぇ!?だって…へんでしょ。それに今の僕が兄さんに抱きついちゃったら兄さん潰れちゃうよ。」

「力加減をしろ。」

「それ以前の問題だったら!」

「だー!もう!ややこしいなぁ!どうしたいんだよ、お前は。」

「うーんと、どうしたいかはわかってるんだけど、」

「また大げさに考えてんじゃねーの、アル?今何考えてんだ。」

「考えっていうか…気持ちっていうか…」

「ぼんやりしてるな。問題点を明確にしろ。」

「じゃあ例をあげます。兄さん、ハリネズミのジレンマって知ってる?」


「は?」


エドワードはいましがた耳に慣れない言葉を発した弟を見た。

弟はまた鎧の手をかしゃかしゃと握ったり開いたりしている。


「なんだそれ。」

「うーんとね、たとえ話なんだけど。」

「ハリネズミの?」

「うん。2匹のハリネズミがすっごく寒いトコにいてね。

 寄り添って暖を取らないと凍え死んでしまうんだ。けど寄り添うとお互いのハリが突き刺さってしまうんだ。」


凍え死ぬほどの寒さの中に震える困り顔のハリネズミを想像したエドワードは半眼になった。


「はぁん…だからジレンマね。」

「兄さんならどうする?」

「意味のない質問には答えないな。」

「えー!」

「じゃあさ。アル。こんなジレンマ知ってるか?」


ばさりとまだ手にしていた本をベッドに落とすと、エドワードはつらつらと語りだした。


「あるところに百足の足を誇らしく思うムカデがいました。

 ムカデがいつも通りに歩いていると通りすがりのカエルが声をかけました。

 『ムカデさん、すごいですね。一体どうやってムカデさんはそんなにたくさんの足を動かしてるんですか―――』ってな。


  聞かれたムカデは考えた。

 けど考えた瞬間わからなくなった。

 足も二度と動かせなくなった。


 その場から一歩も動けなくなったムカデは獲物も取れなくなって、

 餓死しておしまい。」


「え…えぇえ…」


抗議を滲ませた声をアルフォンスがあげるのでエドワードは彼に向き直ると「いいか?」と指を前後に動かした。


「歩く、食べる、息をする。心臓が動く。自然に行ってること、習慣として馴染んでることは立ち止まって考えたってろくなことにならないってことだ。

 やり方がわかってたと思っててもいざ考えようとするとわかんなくなるんだよ。」

「うん。なんとなくそれはわかるよ。」


じゃあなんで考えるんだよ、とエドワードはイラついた声でごんっと鉄の装甲を叩いた。


「ガキの頃からいっつも一緒で、しょっちゅうハグしてて、今もなんかしたくなったんだろ?
 してぇならすりゃーいいじゃん。考えるから悪いんだよ!」

「だ、だってそれは…!大体昔と今じゃ違うし、」

「何が違う!俺はお前のにーちゃんで、お前は俺の弟だ。なーんも変わってない。

 家族だろ?ハグなんていつだってしてやる!」


ガコン!と大きな音と共に小柄な体躯がアルフォンスの大柄な装甲に飛びついた。

狭い室内でアルフォンスがちょびっと増えた体積でよたよたと歩きまわる。

 

「あわ、うわわわ…!急に飛んでこないでよ!」

「お前は色々気にしすぎるんだ、アル。たまには考えんなよ。」

「兄さんに云われたくないよ、頭ぱんぱんにしてるくせに、」

「なんだと!?お前の心配をするお兄様に向かって何を、」

「っていうか心配とかは嬉しいけど毎回毎回無理矢理すぎるよなんだか!今回の理屈だって、」

「理屈とはなんだよ!」

「なんか違う気がするんだもん!」


っていうかコレ、ハグっていうより登られてるみたいだよ、と呟いたアルフォンスの装甲にガゴン、と黒ブーツの踵がめり込んだ。


「わーん!ひどいよー!」

「てめぇ…こんだけお前のコト考えてる兄ちゃんに向かってよくも~…」

「だってなんか違う気がするよ!兄さんの云ってることと僕が云ってることホントにかみ合ってるのかなぁ…」

「いや待て今はそれはどうでもいい。まずはお前が俺のコトをチビだと云ったことに関してだ!」

「えぇえ一言もチビだなんて云ってないよ!」

「云った!今云った!さっきもそれっぽいこと云った!」

「やっぱりこれなんか違うよー!もう降りてよー!」

「こうなったらぜってー降りてやんねー!!」

 

困った顔のハリネズミと苦悩するムカデは置いてけぼりで。

 

どうしたってかみ合わない子犬の吠えあいは騒音を訴えに宿の主が扉を叩きに来るまでしばらくの間続いた。

 

 

dilemma/dilemma

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