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ザァザァ耳に残る雨音。

耳を通り抜け、べったりと身体に張り付くそれは頭と右腕と左脚に疼痛を残す。

溜息をついて、下ろしたままの髪をかきあげる。

いつまでも眼の前の壁を見詰めていても仕方ない。

俺はのろのろと手を出すと、ブラウンの薄い扉を押した。

すぐに、アルフォンスの姿が見えた。


 

「あっ、兄さん。良かった、ようやく出てきたんだね?」


 

いつもの声。

いつものカオ。

いつも通りの言葉の中に、少し心配の色。

それだけでどのくらいガキな行動をしていたか自覚させられる。

俺をみた途端ガシャンと腰を浮かせた様子で待たせていたことも自覚させられて、気まずくって、

アルの足許あたりに目線を彷徨わせる。

「ん…悪ィ。」

「眠れた?」

「あんまり。」

「いい加減何か食べないと。下行く?」

「や、もう少し後でいい…?」

会話しながらアルをよく見ると、何故か手にオイルの缶を持っていた。

しかもまだ中腰だった。

そういえばさっきから体勢を変えてない。

「なんだ、お前、そんなもん持って。」

 

アルの手のものを指すと、アルはゆっくりと目線を缶に落とした。

 

「あぁ、コレね。ちょっと油さしとこうかなぁって。」

 

手入れならこの間したばかりなのに。

俺に付き合って雨に当たったから、念入りに。

「…調子、悪いのか?」

「えーっと、なんていうかね…えっと…動きにくい、っていうか…」

 

アルの眼が言葉を探して雨粒が張り付いた窓の上を滑る。

 

「なんだかね、軋むんだ。」

 

そういって床に座るアルからは錆びついたような音は聞こえない。

 

「強張ってる、っていうのかな?違うか…なんだろうね…雨に当たり過ぎたのかな。

 ちょっと前から動きにくくって、」

「……ッ、」

 

不意に、込み上げた。

 

バカ野郎と、殴るつもりで腕を振り上げた。

 

振り下ろせなかった。

 

 


 

『ほーら、高いぞ高いぞー!』

『おいでよ、ニーナ!アレキサンダー!』

 


 

頭の中で響く、嬉しそうな声、まだ、新しい記憶。


 

…こいつだって、あの二人のこと、気にかけてたのに。

アルフォンスは確かに軋んでいた。

 

けどそれは器の方じゃなくて、

「兄さん?」

 

いつもの声。

いつものカオ。

ふがいない兄のせいで自覚出来ない弟。

 

アルフォンスが握ったままのオイルの缶を取る。

なんと云えばいいのかわからなくて、

俺は弟の頭をあいた左腕で抱えた。

 

「わっ…!?」

 

慌てたようなアルフォンスの声。

ごめんといっても今のこいつには通じない。

 

「どうしたんだよ…兄さん?」

 

息をしない、食べない、眠らない、笑わない、…泣かない。

 

俺のせいで悲しみを昇華できない弟は無防備な魂を無自覚に軋ませて泣く。

 

ごめんな、アルフォンス。

 

お前だって辛いのに、気づかせてやれなくて。

俺とアルは、何においても、元の身体に戻る。

息をして、食べて眠って笑って泣いて。

生きる、ために。

 

ザァザァと引きずるような雨音が響く中、

左腕の冷たく静かな哀しみを噛みしめた。

Silent sorrow

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