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羽風薫は怒っていた。

彼にしては珍しく苛立った仕草で軽音部の扉をノックすると返事を待たずにガラリと開けた。

「朔間さ~ん?」

無人の部室に靴を鳴らしながら遠慮なく入っていく。人が居ないのに薫は尚も喋り続ける。

「あのさぁ〜いい加減にしてよね。また俺先生に小言云われちゃったじゃん。」

「今週ずっと伝言運んでるでしょ?

 いい加減提出しなきゃいけないものは書いて出しちゃってよ〜昼間に捕まるの俺なんだからね?」

 

「俺面倒なコトはしたくないって知ってるでしょ。」

 

薫はぐちぐちと文句を言いながら部屋を渡ると壁沿いに置いてある重厚な棺桶の前に立った。

焦げ茶の木地に鈍い色の真鍮で装飾された蓋にはノートから破りとったのか、歪な紙がセロテープで貼り付けてある。

黒いマジックで、開けるなと走り書きされたそれを見て、薫は腰に手を当て、ふん、と不満気な息を漏らした。

 

「もー今日は許さないからね。」

 

膝をついて蓋に両手をかけると上へ押し上げる。手応えがしたあとは蝶番が僅かに軋んだだけですんなりと開いた。

綿を詰め紅い布が貼られた棺桶の中で、探していた人物が身体を横にし、すやすやと眠っていた。

薫は呆れた顔をして棺桶の縁に腕を引っ掛け、中を覗きこむ。

 

「朔間さーん。起きてっ。っていうか最近寝過ぎだよ。ホント先生しつこいんだけど。ほら、これもう出さないとヤバイって。」

 

まだ眼を開いていない零に手にしていたプリントをひらひらと振ってみせる。

 

「次のフェスでるんでしょ?出るんならこれ書いてださないと。それとも気が変わったの?」

 

「朔間さんってば」

 

至近距離で結構なボリュームの声を出しているのだが、零は身じろぎもしない。

普段ならもうとっくに起きてもいい頃だ。

 

ここ何日か零は随分棺桶にいる時間が増えた気がする。

薫は棺桶の縁に肘を置いて頬杖をつく。

 

「…ねー朔間さん。昨日からずーっと寝てるじゃん。そんなに寝てたら目玉溶けちゃうよ。

 ………どうしちゃったわけ…」

薫は思わずため息をつく。

この閉鎖的な学校にプロデューサーが、それも女の子がやってきたのが4月。

この3ヶ月ほどは皆彼女のもたらす変化に浮足立ってあっという間に過ぎた気がする。

当然そこにはUNDEADのメンバーも例外なく含まれていた。

零はことさら転校生を観察しては、彼女の経験値を上げるために手を貸していたらしい。

ライバルでもあるTrickstarの手助けをしてまでだ。

随分、生き生きしだしたと思っていたのに。

 

「俺ちょっと期待してたんだけどなァ…」

 

ユニットリーダーとして、一つ上の先輩として。

痛いキャラ設定には目を瞑って。

一応このヒトには一目置いているのだが。

薫は、いっそ怒鳴ってやろうかと身を乗り出すが、零の顔を見て止める。

さっきは気が付かなかったが顔色が血の気を失い、随分と白く見える。

それにいくらなんでもこれだけうるさくしているのに起きないのはおかしい気がする。

具合、悪いのかな。
 

寝ている零の頬や首を触って薫はその温度に思わず息をしているか手のひらで確かめてしまった。

予想に反して触れたところはひんやりとしている。ぐっすりと眠っている人間の体温ではなかった。
 

やばくないか、これ?

冷え性とかそういうやつ?
 

相変わらず零は棺桶の底に顔を押し付けるようにして眠っている。角度のせいか、先入観からか、眼の下にうっすら隈が出来ているような気がする。

少し開いた口から吐き出される息が手のひらに当たってはいるので、生きてはいるようだ。

「大丈夫かなコレ…」

ここのところ随分引きこもっていたとは思ったが具合が悪いなら無理矢理起こして病院へ行かせたほうがいいのだろうか。

先生を呼ぶべきなのか思案していると、布が擦れる音がした。

「朔間さん?」

「……ん」

「うわっ、」

零は低く声を漏らして身じろぎをしたかと思うと、薫の手に顔を押し当てた。

咄嗟に引こうとした手首を零の手が掴む。

「な、」

何が起きたのかわからなかった。

零が息を吸い込んだかと思うと、手に鋭い痛みが走った。

薫は腕を引こうとして棺桶の縁にすがりつくが、肩をびくりと揺らしただけに終わる。随分と強い力で腕を押さえつけられている。

 

「え、痛、なに…!?」

 

深めに指を切ってしまった時のようにぞわりと腕の肌が粟立った。

零はまだ目を閉じたまま、薫の人差し指と親指の間に唇を押し当てている。

ぬるりと零の舌が動いて、肌を吸われる。

 

とんでもないことをされていた。

ショックのせいか、くらくらと思考がぼやけた。

視界まで滲んだ気がする。
 

えー…?なに、これ。
 

衝撃で涙でも出ているのだろうか。

目線を下にやると零はまだ薫の手に吸い付いている。唇の端に白い歯と、赤い液体が見えた。

薫は零が自分の手から血を摂取しているのだと理解しながらも、ぼんやりと他人事のようにそれを眺めた。

もう痛みは引いているのに、身動きが取れない。

場違いにここに来た目的を思い出した。

そうだ、朔間さんに云わないといけないことがあったんだった。

そして自分は怒っていたのだが、今はどうでもいい気がした。

とにかく怠い。

されるがままになっている薫の目前で、零がむくりと身体を起こした。

「ふーっ…これは…とんだサプライズだったのう。」

目の前の"自称"吸血鬼が赤い眼で微笑む。

零は反応をしかねている薫の顔を見て、申し訳無さそうにした。

「薫くんが悪いんじゃぞ?開けるな、と書いてあったじゃろうに…」

しかし助かったよ、と零は欠伸をして身体を伸ばした。

「危うく仮死状態になるところじゃったわ。ここのところ転校生の嬢ちゃんが来てから何かと慌ただしかったからのう。自分の管理ができておらんかったわ。」

 

棺桶からゆっくりと出てくる男の唇の端からやけに尖った犬歯が覗く。

自分は一体いつからファンタジーの世界に転がり落ちてしまったのだろう。

このヒトはただのごっこ遊びだと思っていたのに。

「あー…もう…マジありえないんですけど…」

「大丈夫か?貧血を起こすほどはもらってないと思うのじゃが。」

「貧血、起こしてるよきっと…あたま、ぼーっとする…」

「怠いのは我輩のせいじゃ…じき治まる。すまんのう…?」

さらりと気遣うように頭をひと撫でされた。

薫はどうなっているのか不安に思いながら噛まれていた手を目前に持ってくるが、先程零が歯を沈ませていたところは既に塞がっていて、虫さされのようになっていた。

出血していたのに血の跡一つ無い。

零がすべて舐め取ったのだろう。

「う……あー…一回死にたい。」

鮮明に先程のことを思い出してしまい、薫は夢から覚めたような気分になった。

タイミング悪く意識がはっきりとしてきて、一気に羞恥と衝撃が襲ってくる。

薫は腕の中に頭を埋めた。

 

手を、舐められた。

男に舐められた。

最悪だ。

 

なんで俺逃げなかったんだ何してんだっていうかあのヒト何をしてくれてるんだ…!

きっと自分の顔は土気色か青ざめているに違いない。
 

「大丈夫か、薫くん。耳が真っ赤じゃぞ。」
 

零の言葉は信じられなかった。

あんなにキモチワルイことをされたのだ。

また思い出してしまい、薫の動悸が早まる。

「…朔間さん。」

「うん?」

「ほんとに、吸血鬼、なの。」

只のぶっ飛んだキャラ設定じゃなかったのか。

薫は顔をほんの少しずらして、零の方を伺う。

 

「ふむ。薫くんには申し訳ないことをしてしまったし、正直に云おう。いかにも、我輩がいつも云っていることは本当じゃ。皆は信じてはおらぬがの。」

 

闇の眷属だとか、夜闇を統べるだの、悠久の時を過ごしたなどの言葉が脳裏に浮かぶ。

あれはユニットを盛り上げるための後付けじゃなかったのか。

そんな非現実的なことは、にわかには信じ難かった。

「……じゃあさー…なんかフシギな力とかあるの…っていうか……今俺になんかした?」

薫の質問に零はきょとん、としている。

「うん?怠くはさせてしまったとは思うが…それ以外は我輩は特に何もしておらんぞ。」

「あぁそう…」

「どうかしたのか?」

「なんでもない…あぁホントに死にたい…」

薫は顔に熱が集まるのがわかった。

ドクドクと心臓がうるさい。

違う、あんまりショッキングな映像をみたのでびっくりしただけだ。

心配してくる零を無視して薫は好きなだけ顔を隠して蹲ることにした。

 

朔間さんなんか困ればいい。

なんてことしてくれたんだ。

 

しばらく薫は零の顔をまともに見れない気がした。




 

The cat is out of the bag.

(ひみつはバラされた)

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