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当たり障りなく、物腰柔らかに。

朔間零は博愛主義者なのだろうと思う。

ただし、線引きは明確に。

穏やかな笑みの下は、何が隠されているかわからない。

近頃よく零を観察していた羽風薫は、誰もが彼の言動を信じていないという事実に今更ながらびっくりした。

まあそれも当然だろう。

闇夜を統べる王。悠久の時を生きる吸血鬼。生きていくのに血を必要とする生き物。

果たして誰が信じるだろうか。

目前で柔らかく微笑んでいる人物が云っていることが本当だなんて。

下手したら学院内で知っているのは自分だけなのではないだろうか。

誰もが一目を置き、一部では畏れの対象とされている人物との秘密の共有。

正直自分だけが知っている、というのは悪い気はしなかった。

非日常な刺激にワクワクと期待すらある。

そこまで考えて、先日軽音部の部室で自分に起こったことがフラッシュバックして薫は無意識に手を押さえる。

とっくに傷は治っているのに噛まれたところが疼くような気がした。

同時に、血液が急速に胸から顔に押し出されているように感じる。

あの日、この手の皮膚を破って、零の歯が食い込んだ。

その時の痛みと、舌が血を拭う生々しい感触まで思い出すことができる。

おかげで薫はずいぶん混乱させられていた。

あれ以来、確かに零のことは意識はしている。

してはいるのだが、自分でもそれがどういう感情なのかがまとまらない。

零の姿を見かけると、強い好奇心と、それをはるかに上回る気まずさが襲いかかってくる。
 

だめだ、今は考えるのはやめよう。
 

内側に沈み過ぎた意識を浮上させようと、薫は頭を振ると他のメンバーの会話に集中し始める。

薫の気まぐれで全員集合出来たUNDEADの4人は練習室に籠っていた。

「少し動くと汗をかいてしまっていかんのぅ…ワンコや、我輩と一緒に飲み物を買いに行かんか。」

「あァ?なんで俺様が…てめー一人で行けよ。」

ワンコと呼ばれた大神晃牙は相手が上級生にも関わらず、乱暴な口調で答えるとそっぽを向いてしまう。

他所のユニットではありえないかもしれないが、UNDEADの中では見慣れた光景だ。

孤高の一匹オオカミの二つ名を目指す晃牙は、その見た目と言葉に反して良く零の日傘を持ってやったり面倒を見てやったりしている。

零もそれをわかっているので晃牙をワンコと呼んではいろいろ頼っている。

文句を言いながらもほとんど聞いてやるあたり、真面目な性格なのだろうが、いかんせんやかましいので薫はあまり突かないようにしている。

「いやあ…こうも暑いと…我輩傘をさしてくれるワンコがおらんと…途中で行倒れるかも。」

「自分で持てよ!傘ぐらいよぉ!」

「ワンコも知っておるじゃろー?我輩箸より重い物は持てぬのじゃよ…。」

ふーん、と嫌な感情が薫の胸の中で頭をもたげる。

棺桶の中で掴まれた腕は逃げようとしてもがっちり固定されていたのを思い出す。

 

重いものは持てない、ね…?

「えー?そんなこと云って実は朔間さん結構力強いんじゃないのー?」

「聞いてたのかよ、羽風先輩。」

「む…そうなのか、朔間先輩。」

薫の台詞に下級生二人ともが反応する。

乙狩アドニスは零の方をじっと見つめている。

何故かこの少年は大きく、逞しく、力の強い者に憧れを持っているらしい。

寡黙で素直な故に扱いやすいかと思えば、自分は弱いものを守る義務があると思っている節があり、中々頑固なところがある。

晃牙もアドニスも薫にとってはどう接するのが正解なのかいまだにわかっていない。

「いやいや、薫くんは何をいうのか。そんなことはないぞ。」

零がやんわりと否定するとアドニスは少し残念そうに、そうか、と目線を落とした。

そんなアドニスの肩を、晃牙の肘が突っつく。

「そうだよ、コイツに力なんてあるわけねーだろ。ふらっふらしやがって。見るからにひ弱そうじゃねぇか。」

「同じユニットのメンバーが眼の前で悪口を云うてくる…」

「ホントのことだろうが!」

「だが、朔間先輩は三奇人なんだろう。」

「今の吸血鬼ヤローを見てみろよ、」

「あー、ワンコや、それよりも我輩喉が渇いたんじゃが、」

「だっから一人でいけっつってんだろ!?」

「朔間先輩、よかったらこれを飲むといい。まだ開けてない新品だ。」

「あぁ、アドニスくんは優しいのう…ありがたく戴くよ。」

「てめ、甘やかすんじゃねぇよっ。」

「別に甘やかしてなどいない。」

まだ下級生二人が会話を交わしている隙に、零がちらりとこっちを見た気がしたが、薫はくるりと背を向けてしまう。

実のところ、強く意識するようになったものの、最近彼の目線にはうんざりしていた。

あの日、部屋を出る前に忘れたいかと聞かれた。

応じれば叶えてくれそうな聞き方に、薫は否と答えた。

それ以来、何かにつけて視線を感じる。

大体振り向くと、零が神妙な顔つきでこちらを見ていた。

正直監視されている気分だ。

実際そうなのだろう。薫は零の秘密を知っている。

零は薫の出かたを待っているのだろう。

そして、そんな零の態度に薫は心底苛立っていた。

ただでさえ考えがまとまらなくて最近調子が悪いのだ。

そんなことで調子を崩す自分にまた腹が立って、見事な悪循環である。

そんなに心配しなくたって、云いやしないのに。
 

大体、元より本人が云いふらしていることだ。

薫があれは本当なんだと云いまわったところで一体誰が信じるだろうか。

よそを向いているうちに、休憩終了の合図が出されて練習が再開した。

薫は立ち上がると手荷物を壁側へ移動させる。

身体を動かしていればイライラしなくてすむ。

今日ばかりは練習があるのがありがたかった。

夏休みに入る前にもう一度何曲か通すことを予告して、練習は終了した。

手分けして室内を元通りにすると各々身支度をして練習室を後にするだけだ。

下級生二人は約束でもあるのか、駅前がいいだの、近くで済ませたいだの口々に云いながらまとまって部屋を出て行ってしまった。

まだ荷物をまとめていた薫は零がこちらを見ているのを感じて舌打ちしそうになった。

なぜこんなにも苛立つのか自分でもよくわからない。

 

薫くん、と呼ばれても顔を上げる気にならない。

 

「…なに。」

「その、今日は元気がなさそうじゃったからのう。少し心配しておるのじゃが、」

「別に…朔間さんが心配するようなことなんて無いよ。」

 

のろのろと荷物をかき混ぜながら答える。

自分でも随分な態度をとっていると思うが、どうすればいいのかわからない。

取り付く島もない薫に零は怒ることはなく、眉を寄せて困ったように微笑んだ。

 

「のう、薫くんや。そんなに嫌な気分になるのなら、やっぱり忘れたほうがいいんじゃないかのう?」

 

話題にしたくないことを引っ張りだされて、思わず薫は顔を上げる。

相変わらず目線の先の男は、穏やかな顔をしていた。

 

「なにそれ。」

「じゃからの、」

「いっとくけど、俺の調子が悪いのは朔間さんのせいだからね?」

「わかっておるよ、だから、」

「あれ以来ずっとずっと監視するみたいに見てきてさぁ、そんなに心配なわけ?正直そんなに信用ないとかちょっと俺傷つくんだけど。」

 

一度吐き出してしまうともう駄目だった。頭のどこかで面倒事が嫌いな自分の静止が聞こえたが、薫の口は止まらなかった。

 

「ただでさえキャパオーバーしてるんだからもうほっといて欲しいんだけど。」

 

半分マズイと思いながらも全て言い切ってしまう。

案の定、零は驚いた顔で自分を見ていた。

最悪だ。

 

「…そんな心配しなくたって、誰にも云ったりしないから。」

 

少し声を落として相手にそう告げると薫は俯いた。

もう本当に最悪だ。

楽しいことだけを考えて、好きなことだけをしていたいのに。なんでこんな鬱屈としたことになったんだろうか。

零を視界に入れないように俯いたままでいると、長い溜息が聞こえて、きゅっと零の練習靴が床を擦った。

 

出て行くのだろうかと思っていると予告もなく頬に手を当てられた。

驚きに顔を上げると零の整った顔が見たこともない顔をしている。

なんというか、今にも、


 

泣きそう?
 

「さく、」

「申し訳ないのぅ…我輩はあれ以来、薫くんの体調や気分を悪くしてしまったのでは無いかと心配で仕方がなかったのじゃが…それが余計に薫くんを苦しめていたとは知らなかった。」

 

零は両手で薫の顔を包むようにすると、薫の額に自分の額を押し当てた。

 

「薫くんが誰かに喋ったりするのは自由じゃよ。元より誰かに云いふらすとも思っておらん…もう何もせんと約束するから…怒らんでおくれ。」

 

夜を支配する吸血鬼。

敬遠される程の容姿とキャラを持つ最上級生。

三奇人。

 

自分に懇願をしてくるヒトはそんな二つ名をどこへ置いてきたのだろうか。

薫は、停止しかけた思考を無理矢理回転させて口を開いた。

 

「おち、ついてよ、朔間さん。」

「落ち着くなんぞできぬよ…こんなことになってしまって、」

「大丈夫だって、っていうか近い、」

 

そうだ、練習の後で、汗をかいているのだ。

薫は互いの距離感に気がついて身体をひこうとすると零の両腕に抱きすくめられた。

 

「うわ、ちょっと待った…!」

 

ぎゅうぎゅうとぬいぐるみでも抱きしめるように力を入れられて薫は思わず零の背中をバシバシと叩いた。

 

「わかったから!朔間さんわかったから1回落ち着こう?」

「しかし…」

「俺怒ってないからっ!俺の勘違い!」

なんとか自分と零の体の間に腕と肩をねじ込むと必死に零の体を押し返す。

零はややしょんぼりとした顔で薫がしゃべるのを待っている。


 

何だその顔。

っていうか何だこの状況。

なにがどうしてこうなった。


 

「あぁ、びっくりした…いきなりなんなの朔間さん。」

「すまぬ…当然のこととはいえ…薫くんに嫌われると思うと胸が張り裂けそうでの…」

 

ふいに口元を抑えて顔を背ける零に薫は呆然とした。

思わず声に叱咤が混じる。

 

「ちょっと朔間さんしっかりして…なんかもう大げさだし…俺も怒鳴っちゃって悪かったけどさー…誰も嫌ってないって。」

「…勝手に血を吸われてもかいのう?」

「そりゃ、びっくりしたよ!ホントに吸血鬼だったし、ってか手ぇ舐められたし!あれ以来ちょっと混乱してるし?

 でもホントに必要だったんならもうしょうがないじゃん。」

「…ユニットを抜けたりしないかの?」

「しないしない。」

「おお、そうか!」

顔を背けていた零が、パッと表情を明るくして向き直ってくる。

急な変わり様に、薫は思わずのけぞった。

あれ…もしかして今、

……誘導された?

「薫くんは優しいのー?」

 

すっかり機嫌が良くなった零はにこにこと薫の頭を撫でている。

なんだかうまく転がされた気がしないでもなかったが、これまでの感情の起伏ですっかり疲れた薫は、言及する気にもならなかった。

まるで急降下するジェットコースターにでも乗ってきた気分だ。

ため息をついて上機嫌な零を見上げる。

日頃誰かの頭を撫でているのは見たことがあるが、まさか抱きしめてくるとは。

留学時に身についたボディーランゲージだろうか。

「あー…なんていうか…俺、朔間さんってもっと一線引いてるかと思ってた。」

「一線?」

薫は、ぐりぐりと可愛がるように頭を撫でてくる手を汗をかいているから、とやんわりと退けてから続ける。

「皆好きだけど平等、みたいな?だけど一定のライン以上は近づかないみたいな。まぁ勝手な推測だけど。」

「あぁ…そうじゃのう。」

零は顎に手を当ててしばし考えると、また眉尻を下げて笑った。

「そのように心掛けてはいるんじゃがのう。つい贔屓してしまうようじゃ。本当に我輩もまだまだじゃの…」

「ひいきって…」

「うむ…どうしてかのう?我輩にとって薫くんは特別愛しい子じゃ。」

だから嫌わないでおくれよ、と止める間もなく額にキスをされる。

スキンシップが過多だとか、愛しいってなんだとか、意味不明気持ち悪い、と突っ込まないといけないことがどんどん溜まっていくのだが、

「ふーん………特別、ねぇ?」

その瞬間、むくりと湧いた優越感は酷く魅力的だった。

夏休みに入ってからUNDEADのメンバー3人はリーダーに海へと呼び出された。

零の知り合いの店を手助けするという目的だったのだが、なんの縁か、夢ノ咲学院唯一のプローデューサー候補生と会い、そこで彼女が監督していた流星隊のライブに飛び入り参戦させてもらった。

いろいろあったし、薫はその時にちょっと痛い目にもあったのだが、あれがこの夏一番の思い出になりそうだった。

8月に入ってからは学校行事も参加予定のフェスもないので穏やかなものである。

毎年同じ夏休み。

ただし、今年の薫は頻繁に学校へと顔を出していた。

トマトジュースやサンドイッチやらをぶら下げ、せっせと軽音部室へ足を運んでは零が寝ているとこを起こしている。

薫は自分でも心境の変化に驚いてはいたが、今のところこのルーティンワークがとても気にいっている。

勿論、可愛い女の子たちやお姉さま方と遊ぶのが一番楽しいのだが、今の薫は零にも興味があった。

意識をしている自覚もある。

そして零は薫のことを"贔屓"にしてくれている。

これからどう変化していくのか楽しみだったし、何よりもあの朔間零に特別だといわれるのは悪い気がしない。

むしろ気分は良かった。

「さーくーまさん」

今日も今日とて返事も待たずに特注の棺の蓋を開ける。眩しさに起こされた零は眉間に皺が寄っている。

まだ睡魔に取りつかれたままの吸血鬼は舌をもつれさせながら抗議してきた。

「うぅ……また………よくもまあ、まいにちと…」

「毎日じゃないよ。昨日来てないし。」

毎日来たら、朔間さん疲れちゃうでしょ?と笑顔で持ってきた袋を見せる。

「お昼一緒に食べようよ。今日はアイスもあるよ。」

「うむ…」

 

薫はペリペリとソーダ味のアイスの袋を開けて棺桶の中の零に渡してやる。

零は水色のアイスを受け取るとそのまま食べ始めた。

起き上がったものの、棺桶から出てくる気はないらしい。

薫は自分の分を口に咥えてから地べたに手をついて座る。

 

「俺さー成績いいから補習受けたことないし、こんなふうに学校で夏休み過ごすの初めて。授業はないのに教室にいたりすると変な感じするね。

あ、でも意外とヒトいるんだよね。一昨日颯馬くんと奏汰くんに会ったよ。副会長とかは毎日きてるんだって。颯馬くんもそれ手伝うために来てるんだってさー…物好きだよねぇ。」

 

しゃくしゃくと氷菓子を食んでいる薫に対して、零は恨めしそうに口を開くが、途中で欠伸に邪魔をされる。

 

「わがはいの…ふぁあ…ふ……あぁ…わがはいの目の前にも一人、物好きがいるようだがのう。」

「おれー?俺は違うよーこれでも忙しいんだよ割と。」

「忙しいはずの薫くんは何故に休み中に学校に来るのかのう。」

「俺楽しいことが好きなんだよねー。」

「暑い盛りに学校に来るのが楽しいと?」

「ちょーっと違うかなぁ?」

 

それ以上言うつもりがないのか、薫はアイスをふらふらと揺らしながら、そうそうと話題を変えた。

 

「さっき転校生ちゃんに会っちゃったんだ。なんかねー学校の中でお祭りをやる?みたいなフェスを企画してるみたいだよ。面白そうだから手伝うねーって言っちゃった。」

「あの子も働いておるのか…みんな生き急いでおるのぅ…」

「朔間さんは夏の間は止まってるっぽいよね。」

「冬眠ならぬ夏眠したいくらいじゃ。そうじゃ、ここにいるのが楽しいというなら我輩と一緒に昼寝をせんか?できれば夏が終わるまで…」

「あー俺この後デートなんだよねー。」

「はぁ…変わった子じゃのう…」

 

あっさりと断られて零はくつくつと笑った。

暑い中起こされるのは参るが、薫の気まぐれは今に始まったことではない。

普段から用事があって呼んでもめったに姿を見せない彼が、いつまでもこんなことを続けるわけは無いだろう。

アイスの棒を袋に捨てて、紙パックのトマトジュースを手に取ると薫に声をかけられる。

 

「朔間さん、まだそれで大丈夫?」

 

どういう意味かと顔を上げると、薫はひらひらと手を見せるようにした。

その手には薄く、虫さされの様な跡が2つ残っている。

 

「…あぁ…まだ大丈夫じゃよ。」

「ふぅん?」

 

薫は意味ありげに零の赤い眼をみている。

大丈夫ではないと答えたら、飲ませてくれるつもりなのだろうか。

薫の思考がわからなくて見つめ返していると、相手は声をあげて笑った。

 

「もしかして警戒してる?安心してよ、何もしないから。」

「どちらかというと警戒するのは薫くんの方で、何かするのは我輩のほうではないのかのう…?」

「それもそうだねぇ。面白いねーなんでこんなことになったんだろう?」

「ふむ…考えてみると薫くんは我輩の弱みを握っているということになるのかの。」

「弱みだなんて思ってもないくせに。だーいじょうぶだよ、ホント、誰にも云うつもりもないし。」


 

二人だけのヒミツってやつ?


 

首を傾げて、まるで睦言のように云われる。

果たして。長い夏休みの間の、新しい遊びのつもりなのだろうか。

この気まぐれな子供が飽きるまで遊びに付き合ってやるのもやぶさかではないのだが。

さてどうしてくれようかと考えながら、零は良く冷えた赤色のジュースを吸い上げた。






 

Your secret is safe with me.

(あなたの秘密は俺が守るよ)

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