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翌日以降、アドニスが目線を合わせてこなくても、零は当然だと思った。

さり気なく距離を保つように意識をしたり、周囲にさとられないよう配慮をするつもりだった。

それなのに。

この状況はどういうことだろうか。

 

「朔間先輩、起きたのか。」

「…う、うむ…」

 

避けられるならまだしも、何故待ち構えられているのだろうか。

アドニスとの件があってから、零は2、3日棺桶の中に引き篭っていた。

活動を最小限に抑え、ノックも無視して眠りに眠ってようやく気が済んだので蓋を開けてみるとアドニスが椅子に座って待っていた。

そして水を差し出してくる。

 

「よかったら飲むといい。」

 

アドニスの意図が読めないまま、零はペットボトルを受け取る。

冷えた指先でぬるく感じるボトルを弄びながら思考を巡らす。

じっくりと目前の青年を眺めてから、零はようやく理由に気がついた。

10月にも関わらず、アドニスは長袖のシャツしか着ていなかった。

 

「我輩、アドニスくんの机に制服を置いたつもりだったんじゃが…場所を間違えてしまったかのぅ…」

「いや、間違っていなかった。」

 

さらりと云われて振り出しに戻る。

ますます混乱する零に、アドニスは腹は減っていないか聞いてくる。

背後の机に置いていたらしい白い袋をがさりと引っ張る。

 

「ハムサンドか、焼きそばパンでいいならここにある。」

 

水を渡され、食べ物の心配をされている。

それ以前に起きてくるまで待たれている。

答えずに呆然としている零の手からボトルを抜くと、アドニスはパキリと蓋を開けてから零に渡し直した。

 

「朔間先輩、大丈夫か。」

「アドニスくん…我輩の気のせいかもしれんが…いま、アドニスくんに面倒を見られてはおらぬかのう…」

「そうしているつもりだが。」

 

それがどうかしたかとでも云いたげにする後輩に、零は慎重に言葉を頭の中で組み替えた。

どうやらこの純粋な青年の中で、接触していなかった数日の間になんらかの答えが導き出されたらしい。

なにがどうしてそうなったかは零にはこれっぽっちも理解できそうになかった。

 

「あー…質問を変えようかのう。なんでアドニスくんは我輩の面倒を見る気になったんじゃ?」

 

アドニスは椅子の背もたれに体を預けると下を向いた。

つい先程零がしていたように、頭の中で言葉を探しているようだった。

投げ出した脚の間で手を開いたり閉じたり合わせたりしながら、アドニスはゆっくりと言葉を吐き出した。

 

「朔間先輩は…そうだな…放っておくと…ろくなことにならないと、思ったからだ。」

 

言葉をまとめ終わったアドニスは、自分の言葉に納得したように、うんと頷いてハチミツ色の眼で零を見つめた。

随分な云われようだったが反論する術は零にはなかった。

しかし疑問は残る。

 

「例えそうだとして、何故わざわざアドニスくんが我輩の世話を買ってでるんじゃ。」

 

棺桶の縁に腕を乗せて尋ねる零はいつもの頬笑みを浮かべていなかった。

なるほど、穏やかな笑みがなければ彼の眼はこんなふうに見えるのかと、アドニスは畏怖すら感じる双眸に見入っていた。

晃牙が憧れてやまない零がいつもこんな顔をしていたのなら、ふぬけだなんだと普段の零を罵るのもわかるような気がした。

 

「あー…アドニスくん?」

「あぁ…すまない。見惚れていた。」

「うぅむ…アドニスくんと話しているとどうも調子が狂うわい…」

 

アドニスは刺すような目線をよこしてくる零も好ましく思ったが、いま目前で困ったように微笑んでいる顔もけして悪くないと思った。

椅子から立ち上がると、棺桶の前に片膝をついて目線を合した。

 

「俺は…身勝手なんだ。」

 

真っ直ぐな言葉で青年は告白した。

 

「なぜだかわからないが、俺はこの間みたいに、朔間先輩が酷い事をされたりするのは嫌だ。だからどうすればいいか考えてみた。

 朔間先輩が必要なときにいつでも血を提供しよう。多少血を吸われても俺は強いので心配はない。必要なら日常でも手を貸そう。」

「…だから、"あんなことを"するのをやめてくれと、いうんじゃな?」

「そうだ。」

「歩きはじめのひよっこが夜闇を統べる我輩を縛ろうというのじゃな。」

 

ひよっこと詰る零の表情はしかしながら可笑しそうにするばかりで、苛立ちはみえなかった。

アドニスは素直に頷いた。

 

「そうだ。これは俺の我儘で朔間先輩を縛り付けることになる。なるべく不自由はさせないが…そうなってしまうだろうか。」

 

アドニスが不安げな表情を見せたところで、零はくつくつと低く笑い出した。

 

「お主は…変わった子じゃのう…?」

「そうだろうか。」

「アドニスくんや。我輩は楽で助かるがのう?」

 

するりとアドニスの首に零の腕が巻き付いた。

零の前髪がアドニスの鼻先をくすぐる。

 

「困った時に手を貸してくれると云うのなら…我輩が性欲を持て余している時も助けてくれるつもりなのかいのう…?」

 

吸血鬼の両腕に捕まえられた青年はぎくりと身を強張らせてから、ぎこちなく、しかし至極真面目な声で、善処する、と答えた。

​青年は束縛する

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