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アドニスがガラリと軽音部室の扉を開けると、部屋の主が半裸で立っている光景が飛び込んできた。

あまり表情に変化のないアドニスではあったが、流石に目を丸くしているのをみて、零は苦笑した。

 

「これは…妙なとこを見られてしまったのう。取り込み中と云うわけではないから取り敢えず扉を閉めてはもらえぬか。」

石のように固まっていた青年はぎこちなく頷くと、部屋に踏み込み後ろ手に扉を閉めた。

零は手にしていたシャツを棺桶に落とすと机の上に出しておいた新しいシャツを広げて袖を通した。

インナーを身につけていない肌に点々と赤い印がついている。

見てしまったものは仕方がない。

近くの椅子に荷物を下ろしながら、アドニスは自分に云い聞かせた。

仕方がないのだが、あまりに濃厚な痕跡につい口走ってしまう。

 

「随分と、情熱的な女性だな。」

「うん?」

 

しまった、と口を押さえるが、零はゆるいウェーブを揺らして、首をかしげる。

仕方なく、寡黙な青年は指で情事の跡を示した。

 

「あぁ…うん…そうじゃな。」

 

曖昧な返事をしながら零はシャツのボタンを上まで止めるとズボンとベルトを整えた。

袖のボタンを止めるために手首を返した零は顔をしかめる。

パッと袖の中に手首が隠されるより、少し早くに異様な跡がアドニスの目に焼きついた。

褐色の指が、陽を嫌う真っ白な手首を捕まえた。

零の身体は一瞬強張ったが、すぐに諦めてされるがままに腕を差し出した。

皮膚のへこみはなかったが、細い縄状の後が手首をぐるりと一周して浮き出ている。

あまりの痛々しさに、アドニスまで顔をしかめた。

 

「あぁ…そんな顔をしないでおくれ、アドニスくん。勘違いをしないでほしいのじゃが、今回は相手が悪かっただけで、いつもこんな性交をしているわけではない。」

 

本当に、捕まえた相手が悪かっただけだと零は念押しすると手首をアドニスの手から引き抜いた。

 

「さあ、放しておくれ。愛し子達が来る日では無いとはいえ、身支度を整えねば落ち着けぬ。」

 

放心しているアドニスの前で、手早くボタンを止めてしまうと零は椅子に引っ掛けていた上着を丸めた。丸められた制服は随分と皺が寄っている上に、汚れてしまっていた。

「これは使い物にならぬな…セーターが無事なのが幸いじゃ。」

「…何故、そんなことを?」

 

短く尋ねたアドニスは、まだ信じられないと顔に書いてあるようだった。

朔間零がそこらの相手を捕まえて、セックスをしている。それも、恐らくは常習的に。

目の前の上級生はいつものセーターを羽織り、いつもの柔和な表情をしている。

刺激の強すぎる非日常は柔らかな茶色ですっぽりと覆われていた。

 

「嫌なものを見せてしまって心苦しいのう。我輩としてはこれ以上アドニスくんを苦しめたくないのじゃが…」

「それにしたって……朔間先輩の…自由ではあると思うが、もう少し相手を選んだほうがいいのではないだろうか…」

 

また脳裏をあの痛々しい赤色が過ぎって、アドニスはぶつけどころのわからない怒りが湧いた。

 

「まったくお主の言うとおりじゃ。ちっと気が急いておってのう…隙をつかれてしまったんじゃ…仕様もない趣味を持った男よのう。」

 

ため息と共に零は棺桶の蓋をガコン、と閉めるとその上に腰掛けた。

すっかり身支度も整え、リラックスした零とは反対にアドニスはまた虚をつかれて息を呑んでいた。

 

「…朔間先輩は、バイなのか?」

「うん?そうじゃな。どちらでも構わない…といえば妙じゃが…」

 

つまり、目前でニコニコ微笑んでいるアドニスが敬う上級生は、その辺の男でも女でも引っ掛けて遊んでいるということだろうか。

アドニスは、いい加減情報処理が追いつかなかった。

 

「なぜそんなふうにする必要があるのか、俺には理解ができない。」

「まあ…我輩の目的は性交だけではないからのう…?」

 

零の唇が開いて、両脇から発達した犬歯が覗く。

アドニスは、日頃この奇人が主張している言葉を口の中で呟く。

 

「それは……本当だとは、思っていなかった。」

「皆そう思っておるじゃろうな。」

 

ふぁあ、と零が怠そうに欠伸を漏らす。

 

「では…朔間先輩は、血が…必要なのか。」

「アドニスくんは賢いから助かる。

人間、快楽の最中や直後は拍子抜けするくらい隙だらけじゃよ。まぁ我輩が隙をつかれては意味がないがのう…誰しも楽をして食事を取りたいじゃろう?」

 

吸血鬼、性交、縄痕、食事、

あまりにも理解しがたい情報を一度に叩きこまれて、まっすぐな青年は眩暈をおこしそうだった。

これ以上喋っても、きっと謎が増えるだけだろう。

零はまだ何かを云い続けていたが、アドニスは眩暈を抑えるために片手を顔に当てた。

視界が塞がる直前に、シャツ一枚にセーター姿の零が見えた。

 

「…そうか。」

「お?」

 

アドニスは突然顔を上げると零の許へ歩み寄り、自分の上着をバサリと脱いで、彼の両肩に掛けた。

 

「おぉ?」

「帰りは冷えるだろうから、使えばいい。俺はいらない。」

 

無機質な声で零にそう告げると、アドニスは自分の荷物を拾い上げて早足に部屋を出た。

力強い足音が遠ざかる。

一人残された零は保っていた笑みを落とすと短く溜息をついた。

我ながら今日の失態が情けないが、もうどうしようもなかった。

棺桶に篭もる気分にならず、零は壁に持たれるとずるずると体勢を崩した。

充分に血は摂取したし、日は暮れているのに身体が重かった。

自業自得だが、愛し子の一人に嫌われてしまったかもしれない。

まっすぐで純粋な青年は、零を避けてしまうだろうか。

 

「仕方ないのぅ…」

 

ぽつりと呟きを落としてから、零はそのまま目を閉じた。

 

 

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