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両手を振り下ろすとくしゃくしゃになっていたシーツが、パンッ、と気持ちいい音をたてて翻った。

真っ白なシーツが太陽の光を反射して眩しい。

両腕をめいいっぱい広げて(云っておくが俺の腕が短いんじゃない。シーツがでかいんだ!)

濡れた布をぴんと張った紐にかけ、風で飛んでいかないように洗濯バサミで端を留めた。

今日は随分と暖かくて、いい天気だ。

朝起きて空を見上げた弟は、折角なので家中に風を通そうシーツも洗おう、と

毛布に包まってぽかぽか陽気の中で眠っていた俺をたたき起こした。

掃除なんかよりも日向で眠っていたかったのだけど、眼をキラキラさせて生き生きと掃除をしよう!といってくる弟に逆らえなかった。

なんでだろうなぁ…。

「ま、考えてもしゃーねぇ。とっとと終わらせ………ん?」

くるりと身体を反転させて、洗濯籠の中へ手を伸ばそうとして、俺は動きを止めた。

 

「んん?」

洗い立てのシーツの匂いとはまた違う、何か甘ったるい匂いがする。

一瞬だけ、記憶に残るクソ親父の香水を連想したけどすぐに首を振ってそれを打ち消す。

すると、またもや甘い匂いが鼻先を掠めた。

 

「ぁん?なんだこれ。俺か?」

 

シャツを引っ張って嗅いで見る。

違う。

 

腕。違う。

 

機械鎧…は鉄と微かな機械油の匂い。

 

甘い匂いなんてのとは程遠い。


 

「あーもう、なんだよ!気になるじゃねーかぁ!!」

嗅ぎなれないものに纏わりつかれて俺はイライラと頭を掻いた。

……。

…ちょっと待てよ?

「…んんん~?」

 

頭の後ろに手をまわし、低い位置で留まっているゴムを引っ張って髪を解く。

途端、広がる髪と

 

例の甘ったるい匂い。

 

「これか!」

 

「さっきから何一人で騒いでるの?」

髪を一房摘み上げて、鼻に押し当てていると、後ろから声を掛けられて振り向く。

部屋の掃除を終えたアルが様子をみにきたらしい。

 

「あれ、髪下ろしたの?」

「なんか甘ったるい。」

「はい?」

「甘い匂いがする!」

「あぁ…どれどれ。」

 

はじめきょとん、としていたアルは、俺の言葉を理解すると苦笑いしながら俺に近づいて頭に鼻を寄せた。

 

「あ、ほんとだ。いい匂い。」

「昨日あけたシャンプー、いつものと違った?」

「うん。気に入らない?」

 

と、尋ねてくるのはいいんだけど

 

何故俺の腰を引き寄せる弟よ。

 

「…慣れない。甘い。」

「ふふ…確かに甘いね。美味しそう。」

 

あぁ…またか…。

 

つむじに鼻先をくっつけられて俺はくらりと目眩がした。

アルフォンスは基本はいい弟なんだ。基本的には自慢の弟なんだ!

が…

 

「っおい、放せよ。洗濯がまだ途中、」

「んーもうちょっと。」

「何ほざいてやがるいいからどけって近い近いちかい顔近い!」

 

歯を食いしばって必死に腕を突っ張ると、ようやくアルが諦めて腕の力を抜く。

 

「なんだよー兄さんのケチ。」

「ケチもくそもねぇよ。洗濯の途中だっつってんだろ。」

「えー…あ、僕手伝おうか!?」

 

……なんでだろうなぁ、弟よ。

優しいお前からの嬉しい申し出の筈なのに、何故かお前の後ろに色んなものが見えて素直に頷けないよ兄ちゃんは。

妙な熱を持ってこちらの返事をまつアルに背を向けると、俺は洗濯籠の中から絡まったシーツを引っ張り出した。

「いいから…お前、中で大人しくしてろ。」

「どうして?」

「どうしても。つかぼーっと外に突っ立ってても時間の……っと、」

布の皺を伸ばしていると、どこからともなく現れた蝶に、顔のすぐ傍までこられて俺は思わず肩を竦めた。

「おぉ、びっくりしたー。」

「わぁ、もう蝶々が動き回る季節なんだねぇ。」

ひらひらふらふらと、黒い縁に、キレイなエメラルドグリーンの羽根を動かして、

独特の頼りない飛び方で飛んでいる蝶を見て、アルの表情が和らぐ。

そうそう、お前はそういう顔をしてるときのほうが好きだぞ、俺は。

せっかく格好いいんだから変なことばっかすんな。

「こんだけ暖かいとなー。」

「そうだね。もう春なんだね。」

「家に篭ってばっかだと季節感無くなるよな。」

「ほんとだね。」

 

アルの声を聞きながら手に持っていたものを干していると、

 

「あ、」

「ん?」

 

はたはたと頬に風が当たったと思ったら、頭に違和感。

 

これはもしや。

眼を動かしてみると、ちらちらと視界にはいる黒と緑。

右耳の上に感じる確かな存在。

 

「わっ、なんで…、」

 

慌てて手を持ち上げるが、叩いて落とすのも気が引けて、困ってしまった俺はアルを振り返る。

 

にこにこにこにこにこ。

 

「……。」

 

あぁ…

 

なんでだろうなぁ…兄ちゃんもう訳を聞きたくない筈なのに口が勝手に動くよ。

 

「何だよ…。」

 

「兄さんそうしてるとお姫さまみたい!」

 

急に頭に止まった蝶が重たく感じた。

あーホントありがとよ、蝶。

礼をいうぜ、春よ。

俺の弟の頭にまで花を咲かせてくれやがって。

 

「わぁー…どうしようホントに可愛いよ兄さん!」

「良かったなぁ…」

 

自慢の弟よ。

 

時々兄ちゃんはお前がわからないよ。

 

「あぁ、でもそのままにしておくと蝶々に攫われてしまいそう…!!」

 

「~んなわけあるかぁああぁ!!!」



 

…っていうか時々お前を埋めたい。

05.蝶々

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